桔槹7月号から

写真は「PAKUTAS」のフリー素材を加工使用

雪しろの全戸へ山のこだまかな  相馬 優美

掲句を拝見したとき、現代俳句の骨組みを作った諸家の一人である、前田普羅の「雪解川名山けづる響きかな」の句が反射的に頭を過った。普羅の句は、視覚から聴覚へと、雪解けのもたらす声調の張った句である。今回の巻頭句も韻文性に富み、丈高い形で詠まれている点では普羅の句と一脈通じている。隣り合うように置かれている「雪しろ」と「雪解」だが、趣きが少し違う。たとえば、この句、季語を雪解としたとき、わかりやすくドラマチックではあるが、音が煩雑なのである。また、「雪しろ」が「ユキシル」の転であると考え合わせるとき、季語の背負う趣きが分かる。大景を詠むことの難しさを日々感じている私にとって眩しい句。

桔槹五月号の「巻頭句の背景」の中で作者は野望に触れていたが、持たない野望は育たないのである。「木々芽吹く野望は大きくひそやかに」ということであろうか。(選評:金子 秀子)                


バックナンバー