桔槹9月号から

写真は「写真AC」のフリー素材を加工使用

熔け落ちしあの日の記憶牡丹散る 髙市 宏

この句の「あの日」は、2011年3月11日の東日本大震災、そしてその後に起きた東京電力福島第一原発の爆発事故を指す。「熔け落ちし」という表現には、原子炉の炉心溶融(メルトダウン)を想起させる具体的なイメージと、壊滅的な被害の衝撃が込められている。それは地元福島に生きる私たちの記憶に深く刻まれ、今もなお癒えぬ傷として残っている。

「牡丹散る」は、咲き誇る大輪の花が崩れるように散るさまであり、事故によって失われた暮らしや風景、そして尊厳の象徴とも読める。牡丹の豪華な美しさと、その散り際の儚さが、過去と現在とを静かに結び、余震のように胸を揺らす。

あれから14年。あのとき、放射線による被曝を防ぐために屋内退避が求められたが、断水のために人々は給水の列に並び、買い出しの列にも並んだ。物流もガソリンも止まった。これらは、私自身の「あの日の記憶」の一部だが、記憶は少しずつ風化してゆく。だからこそ、今もこうして句に詠みとどめることには意味がある。作者は近年、震災や原発事故を俳句に詠み続けている。それは単なる個人の抒情にとどまらず、記録であり、鎮魂であり、再生への祈りが込められた俳句であると感じられる。

私は2025年3月号「桔槹集をよむ」に、俳句で時事を詠む意義を次のように書いた。

第一に、俳句は時代の証言となる。短詩形でありながら、時代の空気や社会の動きを凝縮することができる。第二に、俳句は時事を詩的に昇華できる。新聞記事や論説とは異なり、俳句は象徴や余白を駆使して、読者の感性に訴えることができる。第三に、時事を詠む俳句には、個人の視点から時代を映し出す力がある。身近な自然の中に時代の不安や矛盾を見出すことで、読者の共感や省察を引き出す。

もちろん、俳句で時事を詠むことは容易ではない。メッセージ性が強すぎれば、詩の余韻が損なわれ、スローガンのようになってしまう。多義的な表現を心がけることで、より読者の心に届く作品となる。この句は、そうした使命感と美意識のにじむ一句である。(選評:永瀬 十悟)