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手に氷柱端から氷柱ぱらららら 武田 貴志
この句を読んで、芭蕉の「俳諧は三尺の童にさせよ」という言葉を思った。子どものように無垢な心で、ものに触れたままを詠めという教えだろう。頭で上手に作ろうとすると、理屈が先に立って句が硬くなる。
この句はその難しさを、いともたやすく越えてみせる。「手に氷柱」と、つかんだときの硬さや指先の冷たさが直に伝わる。次に作者はその一本で、軒先などに連なる氷柱を「端から」叩いて落としてゆく。動作は横へ連続して展開し、結句「ぱらららら」が、落ちて砕けるさまを一息に呼び起こす。これは単なる擬音にとどまらず、音とともに速度や量感、冬の空気の軽さまでを含むオノマトペとして鮮やかに働いている。「つらら」と「ぱらららら」の、「らら」音のリフレインもリズムがよく楽しい。自然の厳しさの象徴である氷柱を、自分の手で解体し音に変えてしまうところに、子どもめいた遊びの快感と解放感が宿る。
さて芭蕉は「俳諧の華は新しみ」とも言った。作意を押し出さず、ただ面白がって触れてみる。その素直さからこそ、新しみは立ち上がる。端から崩れてゆく氷柱の「ぱらららら」は、まさにその新しみである。
(選評:永瀬十悟)
